9月13日診察

赤ちゃん、出てきてくれませんでした。

ひょっこり現れていないか、
やっぱり見えてくれないのか、
半分半分で臨みましたが、
胎嚢のみ順調に育ち、
赤ちゃんの影は見えませんでした。

診察室で超音波確認を念入りにして
最後に¨Lo siento mucho/大変残念です¨
と告げられた後
私の感情が噴き出して嗚咽していました。

夫も先生も私を優しくさすって
なだめてくれていました。


カウンセリング室で話をしました。

胎嚢のみ育ってしまうのは
とても稀で、年齢は関係ありません。
誰にでも起こりえるけれど稀だということ。
そして、PGT(着床前診断)でも分かり切れない
ことということです。

今回私たちはPGTは選んでいません。

今後はこの胎嚢を子宮内から
取り除いて身体をリセットさせるために
薬を飲んで自然排出させるか、
稽留流産手術をするか判断します。

その後2か月後には恐らく再び移植が可能に
なるということです。

先生は涙の止まらない私に
¨Lo siento mucho¨
を繰り返しましたが、

先生への信頼は揺らぎませんし、
先生にはまず今のここまでを
経験させてくれた感謝しかないと
お伝えしました。


今朝の待合室。

こちらで授かった子供ちゃんたちの写真が
沢山かざってあります☆

以前は、子どもの顔を観る、子どもを抱くことが
遠い遠いことのようでしたが、
今回健全に着床し、つわりも始まり、
日々膨らむお腹などを感じて
自分の身体が卵を受け入れられた
ことがとても満足で、

移植に向けてまた作業的にはいちからですが、
でも全くのもやもやの中からでは無く、
遠くへ行ってしまった感じも実は
ありません。

各種の不安や恐れはありますが。

今日から全てのホルモン補充を止めます。
ちょうど注射針は使い切ったところでした。


車の中で夫に

「メンタルカウンセリングはどうする?
もう最初の問題は解決してるから、
要らない気がするねんけど。」

と。
まさに私も同じことを思っていました。

4月にメンタルカウンセリングを受けた時は
「自分の何が悪いのか」
というところで止まっていて
ただただ辛くもやもやしていました。
見えないことが多かったのです。


4月からの十数回のセッションの中で
確実にそれらは整理され、
幹細胞注射(これは本当に意味が大きい)
を含めた新しい取り組みにより
今回着床し赤ちゃんは居なかったけれど
健康に過ごすことができました。

そして、嗚咽するほどの悲しみを受けても
自分のメンタルは意外にも澄んでいて
ふにゃふにゃと弱っている様子でも
ありません。

夫もそれを解ってくれているようです。

私は同時にさとったことを
彼に告げました。

「ゆきが(夫です)こうやって居てくれる
話てくれることで悲しみが相当柔いでいる。
今はカウンセリングは特に必要無いのかもね。」

と。

運転しながらでしたけど、
ちょっと嬉しそうに戸惑った表情を見せていました。

私たちには卵子提供という機会があり、
まだ次へ進むことが出来ます。

このことがどんな意味を持つのか、
先へ進んでより理解したいと思います。

SNSでは、赤ちゃんの写真を連投する方の
アカウントを非表示にしました🙏
赤ちゃんのお顔を観るのが嫌なのではなくて
その方の赤ちゃんと居ることの幸せを
伝えられるのが辛いということです。

自分の精神の健康のため。

SNSは自分が直感的に楽しいとか
美しいとか、世界を知るための
有意義なニュース源であって欲しいので。
いわゆるニュースは楽しいものとは限りませんが。

私も配慮しながら利用しますが、
それでも私の流すものが気に入らなければ
外してもらえればよいですよね。

今週はメキシコの独立記念ウィークで
夫は有休にして連休していますが、
まだお酒は呑めないねと話ながら
2人にとって、よい一息になればと
思います。

近いうちにValle de Bravoにも行けたらなぁ。


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