3月27日不妊治療中何が辛かったのか



Twitterを開くと次から次に皆さんの取り組みの様子が現れてきます。

私の場合、今のところここまで何が辛かったかなと
考えてみましたら・・・

例えば大きな山場で最も涙を流した時期は、

1.採卵期に卵が見られず、卵子提供を受け入れた時
2.妊娠出来たと思いきや、胎嚢に赤ちゃんが居なかった時

でした。


受け入れがたい現実を受け入れなければいけなかった時、
この瞬間は希望が絶たれたようになります。

でも時間が経って、1のことは今では卵子提供によって
身体の中で赤ちゃんを育み、出産する希望の道の中に居て、
その時の苦悩を思い起こすことのほうが難しいくらいです。

ただ、義理の母に「すみません」って連絡してから
母の優しいメッセージに号泣嗚咽したことは鮮烈で
忘れられない体感で、母の優しさも同時に消えることは無いなと
思います。

※アルフォンソは走り寄ってきて、普段はしない顔ペロをしてくれました

2.これも、治療室で主治医が「残念です。申し訳ない。」と言った瞬間と
号泣嗚咽した感覚は忘れないものでしょう。

私たち夫婦の鮮烈な辛さはこの2場面ですが、

採卵周期では自己注射がもちろん嫌で毎日闘っている感じ。
卵巣も子宮も超音波画像を見るまでは内部がどうなっているのか
体感するのが極度に難しいので、体調はいいように感じても
それとこれとはシンクロしない難しさ・・・。

いつも「私の身体はどうなっているんだろう」という不安。
どうなるんだろうという不安。

治療を始めたばかりの頃は日々過去の自分を後悔する。

今は採卵する必要が無い分、身体も気持ちも半分くらい楽に
なったように思いますし、上を経験していって、気にしても仕方ないと
整理できているし、瞑想とヨガ、気功などを丁寧に取り組んで
自分の身体の状況が以前よりよくわかるようになっています。
採卵する、移植する全ての取り組みは、これはどんな人にも
毎回がんばったねってパートナーからのこれも全力の抱擁が必要!!!

誰がなんと言おうと、自分はこれでよいのだという覚悟や自信が
ついてきたように思います。

夫との関係も昨年半年のメンタルカウンセリングが想像以上に
効果をもたらしていると思います。男である彼は女の身体や気持ちを
分かるはずは無いかわりに、何をすれば夫婦間が温まるのか
理解が進んでいます。

解決、進歩出来ることは少しずつ出来てきました。

これでよいのだという感覚は私を支えます。

何が辛かったのか・・・辛いというか、不愉快だったことは
先にも言っているように、不妊を経験したことのない人や経験しても
出産に至った人たちの不用意な言葉や行為。そして、昨日も今日も
私には赤ちゃんが来てくれないという事実と生きていること。
手放すまではこれらは変わらないので、自分が気持ちよいように
工夫するだけですね。

1つ1つの周期は1ヶ月や数か月単位、休憩せねばいけない場合はもっと
時間がかかります。私は昨年は2回しか移植が出来ませんでしたし。
歳をとることも、もうずいぶんとこれまでのもやもやが晴れて、
何歳になっても叶いますようになどと思い始めています。

同時に、いくら卵子提供を受けようと、特に夫が「もう辞めようや」と
強く思ってしまった場合、子どもの居ない夫婦としての人生を決める時が
来るかもしれないので、取り組みつつ、いつも心に置いています。

全力で取り組みつつ、でもどうしようもないことはどうしようもない!
それもこれも自分の人生だと自分で視点を少しづつずらしながら
明るさを保つのです。

4回の移植の卵ちゃんの写真を全て公開します💛
毎回2個同時移植です。

2020年8月25日 ※1回目のみ初期胚で


2021年3月10日※ドナーさんの胚盤胞移植が始まる


2021年8月7日

2022年2月23日


何が起こっても、自分として力強く生きること。

3月25日特に何もないのですが


 
Twitterを見ていて、高度不妊治療を続けている方々の中には
PGT-A着床前診断を受けていらっしゃる方も多いのだなと気づきました。

私の医師は、若く選ばれたドナーさんの卵子提供では
必要ないという判断で私の場合も行ったことはありません。

自分の卵子では数少ない受精卵の場合、PGT-Aにかけることで
ダメージを与えてしまう恐れもあるなどで勧められませんでした。

同州で一昨年高齢でご出産されたご夫婦は、医師の勧めはなくとも
自分たちの判断で卵子提供を受けながらも、PGT-Aに受精卵を送り、
そのうちの最も健康とされる受精卵を1つ選び、ご出産なさいました。


日本では、今年から体外受精などの高度生殖補助医療にも保険適用が
拡大されているようですが、この着床前診断は適用外だそうで、
治療が続けられないと悩んでいる方も見受けられます。

着床前診断、保険適用見送り

「流産する確率が高くて、自費で検査出来ないなら
保険適用して流産するしかないのか」というとんでもない痛みが伝わる
Tweetもありました。

ERA検査、子宮内フローラ検査も日本で出始めているそうですが、
私の主治医は、周期によって変化が著しくてあまりあてにならない
と考えているそうで、私には必要ないと言っています。

日本のお医者さまの対応は分からないのですが、こちらでは
WhatsappというChatアプリがあって、そちらでカウンセリングルーム
以外のコミュニケーションをとっています。いつでもなんでもいいから
連絡してきてと言ってくれていますが、実際は忙しいので、本当に気になる
点のみWhatsしてます。(LINEするみたいな感じです)

そこでの音声メッセージのことで端的な返答だったので、
今度直接お会いするときに、もう少し詳しく聴いてみたいなと思っているところです。
周期毎に変化するとして、周期毎にその処方をしたらいいのじゃないかなとか
素人は思ってしまったりするので。

いやしかし・・・・

それぞれに違う人生、違う身体、違う人なのだけど、
ほとんど似たような悲しみ、不安とたたかっている女性が
こんなにも多いものとは・・・。



3月14日生理5日目

 生理が5日続くというのがちょっと奇跡的なので、

これもメモに残しておきます。

40歳時でAMH値が(卵子の保存量が測れると言われている
アンチミューラー管ホルモン)0.11だった私はそのころから
月経量がどんどん少なくなってきました。明らかに閉経に
向かっているのは分かるので、(ホッとフラッシュなどの
更年期の症状はまだありませんが)さみしいものです。

幹細胞を注入したことが大きいと思いますが、日々自分に
施していることがよいように出てるのかなと思っています。
シンプルに主治医も嬉しがっています。

1日、2日目の量がしっかりたっぷりあるし、色がめちゃめちゃ
鮮やかできれい。(こんなこと昔はどうでもよかったほど・・)
粘度は多少当たり前にあるもののさらさらとしている。
恐らく理想的な純度のよい経血じゃないかなとみています。

Twitterで不妊治療のこと特に高度医療で取り組んでいらっしゃる
方々の様子を拝見していて、励ましをいただいています。
Twitterはニュース源だと思って使っていて、自分からは発信する
ことはなかったのですが、今回からはこの「不妊治療」という
テーマで糧をみつけている感じですね。40代でも皆さん
自分と家族の望みのために闘ってらっしゃる。

よく「あなたは強い」とメキシコ人の友人にもよく言われます。
強くなりましたね。今回、新しいドナーさんでこの道を継続
すると決めてから、年齢のことが気にならなくなりました。
Twitterで多くの皆さんをみつけられたことも背中を押してくれていますね。
自分を責めることも無く、どうしようもない自分の体質と
運命とをさすがに受け入れきってしまったよう。

3月11日金曜日話し合い

 木曜に夫がアメリカ出張から戻ってきて、

金曜日に主治医のところへ行ってきました。

ドナーさんの卵は全て使ってしまったので
ここで道を断念するか続けるのかという判断を
まず夫婦でしなければいけませんでした。

私の中では「続ける」だったのですが、
夫は果たして・・・出張先のホテルででも
みてもらえるように、Emailで自分の気持ちや
考えを先に伝えておきました。

木曜の夕方帰って来て、夜にそっとそんな話を
と思いましたが、お疲れのところで結局できず。

翌朝、これまでなら朝ごはんの前に
プロゲステロン注射を夫に打ってもらっていたのですが
もちろんその作業も無くなり、何気なく
「(私)残念ながらお注射しなくてもよくなったね」
「(夫)あ、ほんまやなぁ」
「(私)自分でも問題なく打てたわ」
「(夫)じゃぁ、次回から自分で出来るな」
「(私)・・・・?次回???あるの???」
※出張中判定までは自分でお尻注射しました。

そしてそのまま朝の支度から家事、夫は出発まで
会社の仕事をして、車に乗り込み、
しばらくして、

「さっき、次回はとか言ったけど、
今日Loreに逢う時に今後どうするのかいわなあかんで、
我々夫婦の方針を。止めるんか、新しいドナーさんで
続けるのか。」
「お前はどうしたいねん?」
「そりゃ続けるよ。」
「じゃ、それでいいんじゃない?」

ということで。

養子縁組は夫は考えられないということでしたし、
(卵子提供を受け入れる時もそうだった)
この取り組みが出来る環境で、そして
我が家がまだ1,2年メキシコに居ることが
分かったし、今の条件で続けようと。


ほっとしました。

そして主治医の元へ。




事前に用意した私の質問を一つづつ解説してもらう中で
「あなたに必ず産んでもらいたい!!」と手を差し伸べて
訴えてくださいました。

「私たちは続けます」という結論を言う前です。

クリニックはメキシコ全体で7拠点あり、
私たちのクリニックも毎回人でいっぱい。
こちらのクリニックだけでも1年に何百人という
赤ちゃんの誕生にかかわっていて、
それまでの困難を抱えたデータは相当あるようです。
その全体の3%のレアケースに残念ながら私たちは
当てはまるとのこと。

困難だけれども道はある。そう言って、
新しいドナーさんが見つかるまで少し待ってということで
席を立ちました。

そして私自身、私の身体の力を、その力がたくましくなっているのを
たしかに感じます。感じるので、揺るがず、続けられます。

ただ・・・・これはあくまで卵子提供の機会に恵まれている
からで、そうでなければ終わってしまっています。

Twitterで不妊治療のことをシェアしようとついにつぶやきはじめました。


上がってくる関連のツイではあなたもあなたもあなたも・・・
と途絶えることのない30代40代の高度不妊治療の
様子を知ることが出来ます。

私も開示して、お互いの励みになるようにしました。

3月7日月曜日妊娠判定

 妊娠していませんでした。
移植後から少しづつお腹が大きくなって

自由な腹式呼吸が出来なくなっていたくらいなのですが
HGCホルモン値はゼロ以下でこれまでで最低値でした。

このファイルを開く時もドキドキはしたものの
躊躇なくクリックし・・・
そして値が無いことに頭は真っ白、
主治医と夫とのグループチャットに直ぐ報告し
これは妊娠していないということですよねと
確認しました。

「ごめんなさい、本当に、残念です。」

と。

日本に帰るお友達と自宅で過ごしていて、
彼女たちが帰ってから入れ替わるように通知がきました。

夫は昨日から出張で数日居ないので
これを直接分かち合うのは戻ってからです。

うーん、

なんでしょうね、放心が続いています。
感情があまり起こらない。涙も出ない。

私の不妊治療の大先輩、今はエルサルバドルに居ますが
彼女は最初から経験をシェアしてくれたり元気づけを
してくれたりしていて、直ぐに彼女にも報告しましたら、
電話がかかってきてその瞬間に初めて涙が出ました。


今は一晩明けたところですが、すごく落ち込んでいるわけでも
ないですが、とても冷めているし感情がわきにくいので
軽いdepressionの状態かなと思います。

このまま今年の秋にはやっとこさ親になれるかなと
思っていたのですがね。

卵子提供を受け入れるまでは、そんな考えを考えたことも
なかったし、受け入れられるものではなかったのですが、
今はそれが当たり前で進んでいます。

今後続けるなら新しいドナーを探さないといけないのですが
いろいろと観てまして、養子縁組と言うのも現実的に
考えるようになりました。

親、保護者として子どもを社会の中で最も身近な集団の中で
育てる、一緒に生きていく寛容的なスタイルです。

社会の大半の人達には受け入れがたかったり
特異に映ることかと思いますが、血縁があっても健全な
家族関係が出来にくい場合も多くあるわけですし、
自分がどう生きたいのかっていうところを問われることですが
夫と改めて話して今のところの結論をつけたいと思います。


2022年3月2日4度目の移植をしました

 治療が再開していました。
速いもので来週月曜日に妊娠判定です。

今回の流れを書き留めます。

昨年9月末の胎嚢摘出手術から、
先生の言っていたように1ヶ月半くらい
出血が続きました。その間に実は1度
生理が確認されましたが、その後年末に
かけてどきどきしながら待っていたけれど
生理は来ませんでした。
来なかったので年末年始らしく夫と食事を
楽しめたので、まぁよいか!
実際に12月に生理になったら移植準備
するんだろうかともやもやとはしておりまして。

1月29日土曜日
久しぶりの診察。
子宮内膜は完全に薄く、卵巣も活動はしていると。
更年期の症状は無いかと聴かれ、
それは無いと答えました。

「閉経に向かっているのは間違いないですね」
ということです。

注釈ですが、卵子提供で体外受精をする場合、
閉経後も受胎出産は可能です。

卵巣、卵子は早く老化してしまうけど
(私に限らず早すぎだろ!!人生長いのに。)
子宮はそれよりも若さを保てるということですね。

そこでPrimogynといういつものエストロゲン製剤を
1日3粒づつ5日間服用後、4粒に増やして続ける。
これを飲むことで、おりものが出始めます。
透明ですこし粘度のあるものが沢山出るようになります。
他目立った症状は副作用を始め私には
ありません。


2月10日木曜日
12日間の服用後、子宮内膜は7mmまで成長していました。
急展開です。
ここで、エストロゲン製剤のジェル状のものを
追加します。子宮の上の腹部に1日2回
12時間置きに塗ります。
前回までは1日3回だったのですが、今回は
2回で十分だと。薬が少なく反応が顕著な場合は嬉しいです☆


2月17日木曜日
Plasma をします。
Plasmaとは血漿、血液採取して血漿を取り出し、
子宮へ流し込んで組織を補強するためです。
ラボの作業時間が長いので2時間以上待って、
処置室へ。

また、甲状腺刺激ホルモン値、THS3を測るために
別途血液検査を。これは帰宅後に結果が分かり、
よくコントロールできているので、
こちらも薬の数が減りました!

他は当日からMeticortenという着床を助ける薬を
新たに処方され、翌日からいつもの
Progesteronオイルを臀部注射するようになります。
そして、移植日が23日と決まりました。

2月23日水曜日
移植日当日。
プロセスは分かっているし、
慣れた場所で慣れた人なので
なんともリラックスしていました。
心の奥ではどうなるんだろうかという
今後の不安は当然起こっていましたが。


モニターの上の黒い部分が膀胱。
処置前に500mlから1Lのお水を飲んで
膨らませて子宮が体内で動かないようにします。
子宮も薄っすら見えます。


今回は動画も撮りましたよ。

Lore先生と婦長的存在のMari。
最強コンビです。

Mariは先生が処置する前後も
他の患者さんをみつつ、私のお世話も
してくれるのですが
「4回目だよ・・・・」と嘆くと
「これが最後になる!私には分かる!」
「あなたの赤ちゃんを抱っこしたいわーー♪」
と言ってくれました。
実際に今回そうならなくても
彼女からはいつもとてつもない安堵をもらいます。


今回も2つ移植していますが1つ目の卵ちゃん。


移植は15分で終わりますが、
その後50分くらいはベッドで腰を高めにして
休息します。

先生は部屋を出ていくときに手をお腹の上に置いて
地球全てのエネルギーが届きますように!!
と元気をくれます。

処置室を出て、直ぐに診察室へ。
前回と同様、血栓防止の注射を処方されました。
腹部への自己注射です。
これらはもう慣れたものだから怖いとか
そういうのは無いです。

希望に向かっているうちは、
まっしぐらで少々の痛みはなんともありません。

さて今日は
3月2日水曜日

着床出血こそ見られませんが、
身体は大きく変化しています。

来週の月曜日を待ちましょう。

Noteにお引越しします

 タイミングもあって https://note.com/mmktauchi/n/n5ff3420cb5d1 こちらにお引越ししました! ご関心のある方、 引き続き覗いてみてください💛