ラベル #卵子提供 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル #卵子提供 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

3月27日不妊治療中何が辛かったのか



Twitterを開くと次から次に皆さんの取り組みの様子が現れてきます。

私の場合、今のところここまで何が辛かったかなと
考えてみましたら・・・

例えば大きな山場で最も涙を流した時期は、

1.採卵期に卵が見られず、卵子提供を受け入れた時
2.妊娠出来たと思いきや、胎嚢に赤ちゃんが居なかった時

でした。


受け入れがたい現実を受け入れなければいけなかった時、
この瞬間は希望が絶たれたようになります。

でも時間が経って、1のことは今では卵子提供によって
身体の中で赤ちゃんを育み、出産する希望の道の中に居て、
その時の苦悩を思い起こすことのほうが難しいくらいです。

ただ、義理の母に「すみません」って連絡してから
母の優しいメッセージに号泣嗚咽したことは鮮烈で
忘れられない体感で、母の優しさも同時に消えることは無いなと
思います。

※アルフォンソは走り寄ってきて、普段はしない顔ペロをしてくれました

2.これも、治療室で主治医が「残念です。申し訳ない。」と言った瞬間と
号泣嗚咽した感覚は忘れないものでしょう。

私たち夫婦の鮮烈な辛さはこの2場面ですが、

採卵周期では自己注射がもちろん嫌で毎日闘っている感じ。
卵巣も子宮も超音波画像を見るまでは内部がどうなっているのか
体感するのが極度に難しいので、体調はいいように感じても
それとこれとはシンクロしない難しさ・・・。

いつも「私の身体はどうなっているんだろう」という不安。
どうなるんだろうという不安。

治療を始めたばかりの頃は日々過去の自分を後悔する。

今は採卵する必要が無い分、身体も気持ちも半分くらい楽に
なったように思いますし、上を経験していって、気にしても仕方ないと
整理できているし、瞑想とヨガ、気功などを丁寧に取り組んで
自分の身体の状況が以前よりよくわかるようになっています。
採卵する、移植する全ての取り組みは、これはどんな人にも
毎回がんばったねってパートナーからのこれも全力の抱擁が必要!!!

誰がなんと言おうと、自分はこれでよいのだという覚悟や自信が
ついてきたように思います。

夫との関係も昨年半年のメンタルカウンセリングが想像以上に
効果をもたらしていると思います。男である彼は女の身体や気持ちを
分かるはずは無いかわりに、何をすれば夫婦間が温まるのか
理解が進んでいます。

解決、進歩出来ることは少しずつ出来てきました。

これでよいのだという感覚は私を支えます。

何が辛かったのか・・・辛いというか、不愉快だったことは
先にも言っているように、不妊を経験したことのない人や経験しても
出産に至った人たちの不用意な言葉や行為。そして、昨日も今日も
私には赤ちゃんが来てくれないという事実と生きていること。
手放すまではこれらは変わらないので、自分が気持ちよいように
工夫するだけですね。

1つ1つの周期は1ヶ月や数か月単位、休憩せねばいけない場合はもっと
時間がかかります。私は昨年は2回しか移植が出来ませんでしたし。
歳をとることも、もうずいぶんとこれまでのもやもやが晴れて、
何歳になっても叶いますようになどと思い始めています。

同時に、いくら卵子提供を受けようと、特に夫が「もう辞めようや」と
強く思ってしまった場合、子どもの居ない夫婦としての人生を決める時が
来るかもしれないので、取り組みつつ、いつも心に置いています。

全力で取り組みつつ、でもどうしようもないことはどうしようもない!
それもこれも自分の人生だと自分で視点を少しづつずらしながら
明るさを保つのです。

4回の移植の卵ちゃんの写真を全て公開します💛
毎回2個同時移植です。

2020年8月25日 ※1回目のみ初期胚で


2021年3月10日※ドナーさんの胚盤胞移植が始まる


2021年8月7日

2022年2月23日


何が起こっても、自分として力強く生きること。

3月25日特に何もないのですが


 
Twitterを見ていて、高度不妊治療を続けている方々の中には
PGT-A着床前診断を受けていらっしゃる方も多いのだなと気づきました。

私の医師は、若く選ばれたドナーさんの卵子提供では
必要ないという判断で私の場合も行ったことはありません。

自分の卵子では数少ない受精卵の場合、PGT-Aにかけることで
ダメージを与えてしまう恐れもあるなどで勧められませんでした。

同州で一昨年高齢でご出産されたご夫婦は、医師の勧めはなくとも
自分たちの判断で卵子提供を受けながらも、PGT-Aに受精卵を送り、
そのうちの最も健康とされる受精卵を1つ選び、ご出産なさいました。


日本では、今年から体外受精などの高度生殖補助医療にも保険適用が
拡大されているようですが、この着床前診断は適用外だそうで、
治療が続けられないと悩んでいる方も見受けられます。

着床前診断、保険適用見送り

「流産する確率が高くて、自費で検査出来ないなら
保険適用して流産するしかないのか」というとんでもない痛みが伝わる
Tweetもありました。

ERA検査、子宮内フローラ検査も日本で出始めているそうですが、
私の主治医は、周期によって変化が著しくてあまりあてにならない
と考えているそうで、私には必要ないと言っています。

日本のお医者さまの対応は分からないのですが、こちらでは
WhatsappというChatアプリがあって、そちらでカウンセリングルーム
以外のコミュニケーションをとっています。いつでもなんでもいいから
連絡してきてと言ってくれていますが、実際は忙しいので、本当に気になる
点のみWhatsしてます。(LINEするみたいな感じです)

そこでの音声メッセージのことで端的な返答だったので、
今度直接お会いするときに、もう少し詳しく聴いてみたいなと思っているところです。
周期毎に変化するとして、周期毎にその処方をしたらいいのじゃないかなとか
素人は思ってしまったりするので。

いやしかし・・・・

それぞれに違う人生、違う身体、違う人なのだけど、
ほとんど似たような悲しみ、不安とたたかっている女性が
こんなにも多いものとは・・・。



3月14日生理5日目

 生理が5日続くというのがちょっと奇跡的なので、

これもメモに残しておきます。

40歳時でAMH値が(卵子の保存量が測れると言われている
アンチミューラー管ホルモン)0.11だった私はそのころから
月経量がどんどん少なくなってきました。明らかに閉経に
向かっているのは分かるので、(ホッとフラッシュなどの
更年期の症状はまだありませんが)さみしいものです。

幹細胞を注入したことが大きいと思いますが、日々自分に
施していることがよいように出てるのかなと思っています。
シンプルに主治医も嬉しがっています。

1日、2日目の量がしっかりたっぷりあるし、色がめちゃめちゃ
鮮やかできれい。(こんなこと昔はどうでもよかったほど・・)
粘度は多少当たり前にあるもののさらさらとしている。
恐らく理想的な純度のよい経血じゃないかなとみています。

Twitterで不妊治療のこと特に高度医療で取り組んでいらっしゃる
方々の様子を拝見していて、励ましをいただいています。
Twitterはニュース源だと思って使っていて、自分からは発信する
ことはなかったのですが、今回からはこの「不妊治療」という
テーマで糧をみつけている感じですね。40代でも皆さん
自分と家族の望みのために闘ってらっしゃる。

よく「あなたは強い」とメキシコ人の友人にもよく言われます。
強くなりましたね。今回、新しいドナーさんでこの道を継続
すると決めてから、年齢のことが気にならなくなりました。
Twitterで多くの皆さんをみつけられたことも背中を押してくれていますね。
自分を責めることも無く、どうしようもない自分の体質と
運命とをさすがに受け入れきってしまったよう。

3月11日金曜日話し合い

 木曜に夫がアメリカ出張から戻ってきて、

金曜日に主治医のところへ行ってきました。

ドナーさんの卵は全て使ってしまったので
ここで道を断念するか続けるのかという判断を
まず夫婦でしなければいけませんでした。

私の中では「続ける」だったのですが、
夫は果たして・・・出張先のホテルででも
みてもらえるように、Emailで自分の気持ちや
考えを先に伝えておきました。

木曜の夕方帰って来て、夜にそっとそんな話を
と思いましたが、お疲れのところで結局できず。

翌朝、これまでなら朝ごはんの前に
プロゲステロン注射を夫に打ってもらっていたのですが
もちろんその作業も無くなり、何気なく
「(私)残念ながらお注射しなくてもよくなったね」
「(夫)あ、ほんまやなぁ」
「(私)自分でも問題なく打てたわ」
「(夫)じゃぁ、次回から自分で出来るな」
「(私)・・・・?次回???あるの???」
※出張中判定までは自分でお尻注射しました。

そしてそのまま朝の支度から家事、夫は出発まで
会社の仕事をして、車に乗り込み、
しばらくして、

「さっき、次回はとか言ったけど、
今日Loreに逢う時に今後どうするのかいわなあかんで、
我々夫婦の方針を。止めるんか、新しいドナーさんで
続けるのか。」
「お前はどうしたいねん?」
「そりゃ続けるよ。」
「じゃ、それでいいんじゃない?」

ということで。

養子縁組は夫は考えられないということでしたし、
(卵子提供を受け入れる時もそうだった)
この取り組みが出来る環境で、そして
我が家がまだ1,2年メキシコに居ることが
分かったし、今の条件で続けようと。


ほっとしました。

そして主治医の元へ。




事前に用意した私の質問を一つづつ解説してもらう中で
「あなたに必ず産んでもらいたい!!」と手を差し伸べて
訴えてくださいました。

「私たちは続けます」という結論を言う前です。

クリニックはメキシコ全体で7拠点あり、
私たちのクリニックも毎回人でいっぱい。
こちらのクリニックだけでも1年に何百人という
赤ちゃんの誕生にかかわっていて、
それまでの困難を抱えたデータは相当あるようです。
その全体の3%のレアケースに残念ながら私たちは
当てはまるとのこと。

困難だけれども道はある。そう言って、
新しいドナーさんが見つかるまで少し待ってということで
席を立ちました。

そして私自身、私の身体の力を、その力がたくましくなっているのを
たしかに感じます。感じるので、揺るがず、続けられます。

ただ・・・・これはあくまで卵子提供の機会に恵まれている
からで、そうでなければ終わってしまっています。

Twitterで不妊治療のことをシェアしようとついにつぶやきはじめました。


上がってくる関連のツイではあなたもあなたもあなたも・・・
と途絶えることのない30代40代の高度不妊治療の
様子を知ることが出来ます。

私も開示して、お互いの励みになるようにしました。

3月7日月曜日妊娠判定

 妊娠していませんでした。
移植後から少しづつお腹が大きくなって

自由な腹式呼吸が出来なくなっていたくらいなのですが
HGCホルモン値はゼロ以下でこれまでで最低値でした。

このファイルを開く時もドキドキはしたものの
躊躇なくクリックし・・・
そして値が無いことに頭は真っ白、
主治医と夫とのグループチャットに直ぐ報告し
これは妊娠していないということですよねと
確認しました。

「ごめんなさい、本当に、残念です。」

と。

日本に帰るお友達と自宅で過ごしていて、
彼女たちが帰ってから入れ替わるように通知がきました。

夫は昨日から出張で数日居ないので
これを直接分かち合うのは戻ってからです。

うーん、

なんでしょうね、放心が続いています。
感情があまり起こらない。涙も出ない。

私の不妊治療の大先輩、今はエルサルバドルに居ますが
彼女は最初から経験をシェアしてくれたり元気づけを
してくれたりしていて、直ぐに彼女にも報告しましたら、
電話がかかってきてその瞬間に初めて涙が出ました。


今は一晩明けたところですが、すごく落ち込んでいるわけでも
ないですが、とても冷めているし感情がわきにくいので
軽いdepressionの状態かなと思います。

このまま今年の秋にはやっとこさ親になれるかなと
思っていたのですがね。

卵子提供を受け入れるまでは、そんな考えを考えたことも
なかったし、受け入れられるものではなかったのですが、
今はそれが当たり前で進んでいます。

今後続けるなら新しいドナーを探さないといけないのですが
いろいろと観てまして、養子縁組と言うのも現実的に
考えるようになりました。

親、保護者として子どもを社会の中で最も身近な集団の中で
育てる、一緒に生きていく寛容的なスタイルです。

社会の大半の人達には受け入れがたかったり
特異に映ることかと思いますが、血縁があっても健全な
家族関係が出来にくい場合も多くあるわけですし、
自分がどう生きたいのかっていうところを問われることですが
夫と改めて話して今のところの結論をつけたいと思います。


2022年3月2日4度目の移植をしました

 治療が再開していました。
速いもので来週月曜日に妊娠判定です。

今回の流れを書き留めます。

昨年9月末の胎嚢摘出手術から、
先生の言っていたように1ヶ月半くらい
出血が続きました。その間に実は1度
生理が確認されましたが、その後年末に
かけてどきどきしながら待っていたけれど
生理は来ませんでした。
来なかったので年末年始らしく夫と食事を
楽しめたので、まぁよいか!
実際に12月に生理になったら移植準備
するんだろうかともやもやとはしておりまして。

1月29日土曜日
久しぶりの診察。
子宮内膜は完全に薄く、卵巣も活動はしていると。
更年期の症状は無いかと聴かれ、
それは無いと答えました。

「閉経に向かっているのは間違いないですね」
ということです。

注釈ですが、卵子提供で体外受精をする場合、
閉経後も受胎出産は可能です。

卵巣、卵子は早く老化してしまうけど
(私に限らず早すぎだろ!!人生長いのに。)
子宮はそれよりも若さを保てるということですね。

そこでPrimogynといういつものエストロゲン製剤を
1日3粒づつ5日間服用後、4粒に増やして続ける。
これを飲むことで、おりものが出始めます。
透明ですこし粘度のあるものが沢山出るようになります。
他目立った症状は副作用を始め私には
ありません。


2月10日木曜日
12日間の服用後、子宮内膜は7mmまで成長していました。
急展開です。
ここで、エストロゲン製剤のジェル状のものを
追加します。子宮の上の腹部に1日2回
12時間置きに塗ります。
前回までは1日3回だったのですが、今回は
2回で十分だと。薬が少なく反応が顕著な場合は嬉しいです☆


2月17日木曜日
Plasma をします。
Plasmaとは血漿、血液採取して血漿を取り出し、
子宮へ流し込んで組織を補強するためです。
ラボの作業時間が長いので2時間以上待って、
処置室へ。

また、甲状腺刺激ホルモン値、THS3を測るために
別途血液検査を。これは帰宅後に結果が分かり、
よくコントロールできているので、
こちらも薬の数が減りました!

他は当日からMeticortenという着床を助ける薬を
新たに処方され、翌日からいつもの
Progesteronオイルを臀部注射するようになります。
そして、移植日が23日と決まりました。

2月23日水曜日
移植日当日。
プロセスは分かっているし、
慣れた場所で慣れた人なので
なんともリラックスしていました。
心の奥ではどうなるんだろうかという
今後の不安は当然起こっていましたが。


モニターの上の黒い部分が膀胱。
処置前に500mlから1Lのお水を飲んで
膨らませて子宮が体内で動かないようにします。
子宮も薄っすら見えます。


今回は動画も撮りましたよ。

Lore先生と婦長的存在のMari。
最強コンビです。

Mariは先生が処置する前後も
他の患者さんをみつつ、私のお世話も
してくれるのですが
「4回目だよ・・・・」と嘆くと
「これが最後になる!私には分かる!」
「あなたの赤ちゃんを抱っこしたいわーー♪」
と言ってくれました。
実際に今回そうならなくても
彼女からはいつもとてつもない安堵をもらいます。


今回も2つ移植していますが1つ目の卵ちゃん。


移植は15分で終わりますが、
その後50分くらいはベッドで腰を高めにして
休息します。

先生は部屋を出ていくときに手をお腹の上に置いて
地球全てのエネルギーが届きますように!!
と元気をくれます。

処置室を出て、直ぐに診察室へ。
前回と同様、血栓防止の注射を処方されました。
腹部への自己注射です。
これらはもう慣れたものだから怖いとか
そういうのは無いです。

希望に向かっているうちは、
まっしぐらで少々の痛みはなんともありません。

さて今日は
3月2日水曜日

着床出血こそ見られませんが、
身体は大きく変化しています。

来週の月曜日を待ちましょう。

10月27日生理が来た

 どうやら今度こそ生理が来たらしいです。
頭痛も無く、一般的な感じです。
術後から出血し続け、それは深い茶色のものが
少量なのですが、今回はきりっと鮮やかな。
ほっとしました。
主治医にも報告し、次にやってきたときに
診察をして移植への準備に入ります。
やはり来月ですね。もともと45日後くらいに
やってくると聞いていたので、身体をより慎重
に扱うとすると、これを見送ってからさらに
次の生理をとして年内には出来ないのかなと
思っていたので、このまま順調に準備出来て
年末までに移植の結果も受けられれば、まぁ
こちらの都合なのですが、年末年始にまた
心新たに夫婦で進路を話し合えるなぁと
思っているところです♪

インスタでいろいろと上げているので
ブログではほんとこんな超雑記のような
もので、ご覧になる方が居れば、
つまららないかもしれないですね💦


いやーーーー、心はなかなか晴れませぬよ。

10月19日頭痛とdepresión

 Valle de Bravoの旅行、とてもよかったです♪
場所を変えるっていうだけでも気持ちがすーっと
抜けて晴れていくようなのですし、場所の持つ魅力、
お友達の魅力でとてもリラックスできました。

旅行の様子はインスタに沢山載せています。

こちらに旅行のことを書く前に、身体のことを
メモしておこうと思います。

胎嚢除去をして医師の言うように少量の出血が
今も出続けています。それが10月9日土曜日に
サラサラの鮮血に変り、量が少し増えました。
すると、薬を飲まなけれれば生活できないくらいの
頭痛が始まりました。

ホルモン変化が起こったなと思いました。
主治医に報告し、そのようですね様子を観てください
と伝えられています。

月曜日まで我慢していたのですが、
水曜日に出かけるためにも火曜日に、近所は
徒歩3分のお友達の医師に相談しました。彼は
自宅診療している内科医でホメオパシーを使って
自然的療法を研究している人でもあります。

ビデオ電話で今の状況を伝えて、
薬を用意してもらい、彼の家の庭に行きました。
奥さまのためにも自宅には今は誰も入れていない
のでお庭での診療です。

痛みを速く解放するためにも今回は注射をしました。
1mlを腕に筋肉注射。でも針は極細で痛みはありません。
続いて、痛みや違和感を感じる箇所7か所かな、へ、
少量づつ刺していきました。

イブプロフェンを最低限飲んで辛い痛みに耐えて
いたのですが、その後少しづつ穏やかになりました。

飲み薬と吸引薬は1日3回続けるようにと。


水曜日朝9時半に家を出て、4時間半のドライブの後
Valle de Bravo についてホテルへチェックインして暫く
痛みが無いことに気が付き、彼にメッセージしたら
「ははは、どんなに君が落ち込んでいるかということ
なのだけど、ありのまま身の回りにあるものにももっと
喜びを感じなさいよー!」と。

そして1週間経った今日(時間は不思議)、再診してもらい、
痛みはどこにもほぼ無いけど吸引と飲み薬は続けて、
今日もこれを打ちましょうということで・・・
持ちだしたのは「落ち込み」への薬(笑)

「子どもが欲しいというobseción、
叶わないことからの despreción
これをどう調整するかだよねーーー。
もちろん簡単ではないのだけど。」

と。

明るく話せて心も軽くなるけど、いつもいつも
頭に渦巻いている。







10月11日手術から20日

 インスタのプロフィール欄に
「不妊治療のことブログに書いています」
と書いていて、一度だけストーリーズに
そのことを流したら、お友達やまだお逢いした
ことの無い方から励ましの優しいメッセージを
沢山戴けました😭毎回ほんとに嬉しいし、
ご本人が不妊治療を経験された方も多く、
もちろん世の中には必要無く子どもさんを
授かる方も居るのですが、程度の差もあれど
「不妊治療」を経ている方がなんと多いことか
と痛感します。

「泣いてしまいました」と仰る方からは
反対に私がその優しさに触れて泣いてしまいますし、
大学の友人は、ふっとこれを、手術前ですけれど
送ってきて、わらかせてくれました。
私、ドクターX観てないからまったくわかん
なかった(笑)


ありがとう😊💗

さて、手術から2週間過ぎて、突然頭痛が始まって、
同時に出血が鮮血に変り、その量も増えていました。
主治医に聴くと、術後45日後に次の生理というのは
目安だけど、人に拠っていつ生理が来るのかは違います。
今回の鮮血が生理かどうかは数日観察してから判断しましょう。
ってことです。普通の生理にしては量は少ないし
生理の下腹部と腰の重さではないから、自分としては
違うと思っているのですが・・・。まぁ様子を観ましょう。

出血よりも頭痛が辛く・・・普段はこんな頭痛に遭うこと
はないから(二日酔いくらい)ホルモン変化が急に
起こったのだろうなと思います。主治医もそうだろう
と言っています。

今週は水曜日からちょっとだけ旅行へ出られるので
それまでに落ち着いてくれいと願うばかり( TДT)


9月29日死者の日フェリア

 出血の件は、胎嚢を取り除いてから次の生理が来る
約45日間ずっと続くのが一般的だそうです。オリモノ
シートで十分なくらいの量で、生理痛のような下腹部や
腰が重だるいことはまったくありません。

体調も好いし、最近知り合った新しいお友達と
セントロ散策と死者のFeriaへ行ってきました。
イラプアトのセントロはあまりお勧め出来る場所では
ないのですが、知っている明るい場所へ人の目が
ある条件で用を済ませにいくだけならばという
感じでしょうか☆

順番は違うけれど、死者の日フェリアから。

パペルピカドpapel picado に見かけない色がある。
平日だしゆったりしてて空気をあまり気にせずに
助かります💦

祭壇もすでにできていますね。




イラプアトオリジナルも見えます☆




今年はこんなミニ祭壇が売られていた💛
キャンドルもワカモレもミニチュアで再現。
60pesosなり。



アルフェニケ
(お供えの砂糖などで出来た何かしらのキャラクター)
も追加。


メキシコらしい色づかいを街中で楽しめる時期。
映画coco(邦題リメンバーミー)のように、
うきうきと集ってきているのかしら。

もうじき交代されるイラプアト市長ですがこの数年
近代化計画を進めていて、このセントロも随分と
きれいに歩きやすくなりました。





苺の町、苺のアートはここ1,2年で現れたのではないかな。
向こうに見える旧市庁舎ではイベント準備で閉館。
イダルゴ牧師の叫びの壁画は観られなかった。


明らかな旅行者のカップルもここいらで写真を
撮りまくっていた。


ランチはシンボル的な壁画の真横にある
Cafe Muralia へ。



エンチラーダ。今日はサルサロハ(赤トマトのソース)に
して。美味しいわ。



これは、モジェテ(mollete)
ボリージョというパンをくり抜いた中にお豆、
チーズ、バターを置き、お肉類を載せて焼き、
ピコデガジョ(玉ねぎ、トマト、シラントロ)と
合わせて戴く、メキシコのホームメイドピザのようなもの。
私けっこう好きなんですよね。


現代民族美術館はドライバーさんの都合により
今回はゆっくり見られなかったから次回へ♪



9月27日

 水曜日に手術を受け、その夜から抗生物質を3日間
飲みました。その副作用でお腹が緩いです。
痛み止めも処方されたのですが、幸いにも痛みは
一切無く、それは全く普通の身体の様子ではない
ですけど、大ごとではないですね。ただ金、土と
無かった出血が昨日日曜日から量を増して出てきた
のでこちらも先生に問い合わせ中です。具合が悪い
のなら直ぐ何かしら返答があると思うので、一般的
な状態だと今は理解しています。


独立記念を明けて、1ヶ月先には死者の日。
アルちゃんも死者の日ver.のバンダナを。
明日はひさしぶりに平日のおでかけを。
(診察やカウンセリングしかなかった(´;ω;`))
安全にいってまいります。

さて、ホルモン補充を止めてしばらく経ちますが、
この事態を受け止めることも含めて、精神的に
とても揺らいで辛いということはなかったのですが、
昨日はどうもイライラしがちで、今朝は起きてから
直ぐに、2か月くらい前に亡くなった地元の同級生
を想って切なくなっていました。中学生の時に
好きだった子です。ちょっとネガティブに寄りがち。

同級生って不思議で、どこかで今も同じ時代を生きてる
と信じがちです。彼は高校も同じだったけど、
交流は無くて20歳の時の帰省時の飲み会で少し喋った
のが最期でした。静かなイケメンでした。
だけど独身のままだったようです。

私の記憶の中の彼は中学生、14~15歳の時のお顔のまま。

不思議で、今日は涙が出てきます。ようやく亡くなった
ことを受け止められたのでしょうか。

誕生日もなぜか覚えており、来月です。だから享年は42歳。
今年はマリーゴールドを買って(メキシコはCenpasúchil
といいいます)、手を合わせたいと思います。

9月23日リセット始まる

 朝晩は13度から15度くらいで雨季もさすがに終わった
様子でひんやりさが強まっているメキシコです。

術後、昨日は直後は少量の出血があったものの、
起きた時はとても軽く、ホッとしたももの
「あぁ、なくなちゃったんだなぁ」という喪失感
を覚えました。

なんだか寂し気な描写が続いて読まれていても
辛い気分になっちゃうかもしれないのですが、
事実そうだとしても、でも意外と普通に明るく
過ごせているもんです。周りのおかげもあって🙏

お昼からはリセット再開の鍼灸をお願いしに
山崎君のところへ行ってきました。全身の按摩から
背面の必要箇所への鍼灸。背面では百会、目のつぼ、
仙骨周りを定期的にして、他は毎回変化させてます。
前面では、三陰交、関元はマストです。
今後はかおり先生のオンラインヨガクラスも
復活させて、身体づくりです👍

主治医のインスタグラム、最近ストーリーズを
よく上げてくださるようになっていて、本投稿は
もちろん大変有意義です。



人工授精か体外受精かどの手段をとられたか
分からないですが、治療中の患者さんが
自然妊娠出来たという報告を受けたことを
ストーリーズに上げています。

こういうケース、とてもよく聞きます。
この方の年齢と何が不妊の主な原因だったのか
今Loreに聴いているところです☆


9月22日手術

 手術無事に終わりました。
これまでこちらで3回の採卵で3回麻酔をかけて
いるんですが一番効きが速くて明けたとに身体が
楽です。

10時前にクリニックについて、待合室でほんの少し
待った後、処置室へ呼ばれました。処置室には
待機や休憩用のベッドが5台あり、処置室そのものは
2部屋あります。患者さんが多いので、待機の時間は
いつも少々あります。今回は10時50分に移動し、
点滴を始めました。しばらくして主治医のLoreが
入室して、

¨Cómo te sientes ???todo va bien ! Sale ?¨
どんな感じ?大丈夫よ、いい?
と手を握って声をかけてくれました。いつも本当に
頼りがいのある先生です。

今日までめそめそすることは一切なく過ごしていたの
ですが、処置室に入って処置服(なんて呼ぶのでしょう)
を渡してくれた看護師のMariと顔を合わせた瞬間に
涙が溢れていきました。Mariはここの看護師長のようで
他の看護師や先生からしょっちゅう名前を呼ばれています。
点滴はもちろん、シーツ一枚身体にかぶせてくれるのも
丁寧で(一般的にはみんな荒い(笑))、お仕事はてきぱき
してるのに、口調はいつも穏やかで落ち着いて、私から
すると存在が慈悲愛そのもの。先日クリニックでお逢い
したときは、「妊娠したよ」という報告をしたところ
だったので、今日お顔を合わせた時は、彼女は今日
私がどういう処置をしなければいけないのか知っている
わけで、辛さを解ってくれているような寄り添うように
居てくれていて、瞬間に涙が起こされた気がします。

その後で、もともとアシスタントドクターだったEduardo
と会い、彼も事情を知っているから、
¨Lo ciento Momoko pero ánimo!!!¨ 
残念だったけど、でも元気出して!!!
と声をかけてくれて、彼もいつも優しさを向けてくれるの
でそこでもまた泣いてしまうという・・・・。

手術直前のナーバスさと相まって爆発したんでしょう。

採卵の時と違うのは、指先にパルスメーターを付けて
酸素マスクをつけていたこと。麻酔があまりに速く
回ったので、休息のベッドで目が覚めるまでのことは
一切記憶がありません。吐き気もなく軽やかに目覚め、
しばらくして温かいカモミールティを戴きました。

ほっ、終わった🙏

多分1時間くらいベッドで休んで、出ていきました。
それから主治医とのカウンセリング。

ピルを使わずに生理を待ちます。術後には抗生物質
を3日間飲むだけ。漢方の先生は生理を2-3周期おいて
からの再移植を勧めること、1ヶ月は激しい運動と性交渉
は控えることと言っていることを伝えると、

生理2周期後というのはたしかに理想的ではある
けれども1周期後でも可能ではある。そして、我々は
特に今回の術後には生活制限は求めていないという
ことを聴きました。踏まえて、自分なりに身体が回復し、
生理が来て再び受胎できるように過ごしていきたい
と思います。血がめぐっていることを自分で体感
出来ていると問題無い気がします。


夫はずっと待ってくれています。パソコン持ち込んで
お仕事出来たいいのだけど。。夫とも話したのですが、
体外受精は精子さえ取れていれば、男性は付き添う
必要は無いんですよね。ここは公共交通機関で
私がクリニックまでたどり着けないし、運転もしない
ものだから夫の送迎は必要だし、日本よりも勤務時間
をフレクシブルに使うことが出来るので可能です。
そして心強い。でも周りを見ても、ご主人が付きそう
方ばかりですよ💛


9月15日メンタルカウンセリング

しばらくメンタルカウンセリングはお休みしようか
と夫と話して、昨日先生にお伝えしたら、
「もちろんわかりました。よかったら、
締めくくりのセッションをしませんか?」
とお返事が来たので、
そうだなと思い、同時に夫も同席してもらおう
と伝えて了解を得て、
今朝行って参りました。

いつものように、今何を感じて何を考えて
いますかという問いから始まり、
夫からも同じように話してもらいました。

今回印象的だったのは、
「もう名前は決めているの?」
という問いから
「毎回変えたほうがいいかもしれないね」
というアドバイス。

例えば私だとこれまで3回の移植で
しかも毎回2個の受精卵を移植しているので
命の種を6個も失っていることになります。

私たちは「私たちの子ども」という1つの存在や
タマシイを求めたりあるいは感じているのですが、
実際にはそれらの受精卵にはそれぞれに
違う特性を持った人の子どもになりえたものなので、
同じ名前であり続けなくてもよいということ
なんです。

考えたことは無かったのですが、違うものの見方
として取り入れてもよいかなと思いました。

この考え方のほうが心が楽ですね。

それから、”Maternidad/母性”を培う時に

1. ganas de ser mamá
2. ganas de tener hijos
3. ganas de embarazar 

1.母になりたいと思うこと
2.子どもを持ちたいと思うこと
3.妊娠したいと思うこと

はそれぞれ別の見方であるということにも
触れていただきました。

今後それぞれに分けて考えてみたいと思います。

次にどのタイミングでマリアナ先生との
セッションに戻るのか分からないですが、
いつでも戻ってきてくださいと言ってくださいました。

セッションに夫が同席したのは初回と
中の2回と今回だけですが、
本当に効果的だったと思います。

2人だけで会話するのとは別次元の豊かさを得られます。

マリアナ先生にも感謝しかありませんね。

今現在、私は赤ちゃんは居ないにも関わらず、
そしてホルモン補充を止めているにも関わらず、
吐き気などがあり、お腹も膨らんだままです。

赤ちゃんの居ない妊娠現象を体験するのは
重たいことです。

でもめそめそと落ち込んでいない私の内側を
たしかに感じえています。

胎嚢除去手術は来週水曜日に決まりました。
全身麻酔なので朝から絶食です。

そこから身体をリセットですね。




今日から明日はメキシコ独立記念祝祭日。
日本語を教えているご近所さんが
ポソレなどを持ってきてくださいました。
今回は買いましたが♪

自分が喜ぶことを選んで気持ちよく過ごして
いきたいと思います。







9月13日診察

赤ちゃん、出てきてくれませんでした。

ひょっこり現れていないか、
やっぱり見えてくれないのか、
半分半分で臨みましたが、
胎嚢のみ順調に育ち、
赤ちゃんの影は見えませんでした。

診察室で超音波確認を念入りにして
最後に¨Lo siento mucho/大変残念です¨
と告げられた後
私の感情が噴き出して嗚咽していました。

夫も先生も私を優しくさすって
なだめてくれていました。


カウンセリング室で話をしました。

胎嚢のみ育ってしまうのは
とても稀で、年齢は関係ありません。
誰にでも起こりえるけれど稀だということ。
そして、PGT(着床前診断)でも分かり切れない
ことということです。

今回私たちはPGTは選んでいません。

今後はこの胎嚢を子宮内から
取り除いて身体をリセットさせるために
薬を飲んで自然排出させるか、
稽留流産手術をするか判断します。

その後2か月後には恐らく再び移植が可能に
なるということです。

先生は涙の止まらない私に
¨Lo siento mucho¨
を繰り返しましたが、

先生への信頼は揺らぎませんし、
先生にはまず今のここまでを
経験させてくれた感謝しかないと
お伝えしました。


今朝の待合室。

こちらで授かった子供ちゃんたちの写真が
沢山かざってあります☆

以前は、子どもの顔を観る、子どもを抱くことが
遠い遠いことのようでしたが、
今回健全に着床し、つわりも始まり、
日々膨らむお腹などを感じて
自分の身体が卵を受け入れられた
ことがとても満足で、

移植に向けてまた作業的にはいちからですが、
でも全くのもやもやの中からでは無く、
遠くへ行ってしまった感じも実は
ありません。

各種の不安や恐れはありますが。

今日から全てのホルモン補充を止めます。
ちょうど注射針は使い切ったところでした。


車の中で夫に

「メンタルカウンセリングはどうする?
もう最初の問題は解決してるから、
要らない気がするねんけど。」

と。
まさに私も同じことを思っていました。

4月にメンタルカウンセリングを受けた時は
「自分の何が悪いのか」
というところで止まっていて
ただただ辛くもやもやしていました。
見えないことが多かったのです。


4月からの十数回のセッションの中で
確実にそれらは整理され、
幹細胞注射(これは本当に意味が大きい)
を含めた新しい取り組みにより
今回着床し赤ちゃんは居なかったけれど
健康に過ごすことができました。

そして、嗚咽するほどの悲しみを受けても
自分のメンタルは意外にも澄んでいて
ふにゃふにゃと弱っている様子でも
ありません。

夫もそれを解ってくれているようです。

私は同時にさとったことを
彼に告げました。

「ゆきが(夫です)こうやって居てくれる
話てくれることで悲しみが相当柔いでいる。
今はカウンセリングは特に必要無いのかもね。」

と。

運転しながらでしたけど、
ちょっと嬉しそうに戸惑った表情を見せていました。

私たちには卵子提供という機会があり、
まだ次へ進むことが出来ます。

このことがどんな意味を持つのか、
先へ進んでより理解したいと思います。

SNSでは、赤ちゃんの写真を連投する方の
アカウントを非表示にしました🙏
赤ちゃんのお顔を観るのが嫌なのではなくて
その方の赤ちゃんと居ることの幸せを
伝えられるのが辛いということです。

自分の精神の健康のため。

SNSは自分が直感的に楽しいとか
美しいとか、世界を知るための
有意義なニュース源であって欲しいので。
いわゆるニュースは楽しいものとは限りませんが。

私も配慮しながら利用しますが、
それでも私の流すものが気に入らなければ
外してもらえればよいですよね。

今週はメキシコの独立記念ウィークで
夫は有休にして連休していますが、
まだお酒は呑めないねと話ながら
2人にとって、よい一息になればと
思います。

近いうちにValle de Bravoにも行けたらなぁ。


9月9日思うこと

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
不妊治療経過
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

体外受精(自分の卵子)採卵3回 移植1回
体外受精(卵子提供)移植2回
卵管両側閉塞、AMHゼロ近く
主な婦人科系疾患はありません。
36歳で2か月の流産を経験しています。
現在43歳です。

全てレオン市のInstituteVidaのLorena先生のもとで
行っています。
それ以前には不妊専門ではありませんでしたが
メキシコ人の先生に診てもらった時期はありました。
結婚は長かったのですが、若い時期に
子どもを授かろうと努力していたわけでは
ありませんでした。
38歳になってようやく自分の不妊を意識
し始めました。


重たいムードになってしまうかもしれませんが・・・。
今回はほぼ諦めています。
夫は月曜日にはっきり分かったら
またその時に考えよう!
と言ってくれていますが。

毎日数回腹部にエストロゲンジェルを塗りますが、
昨夜「お腹膨らんでるのになぁ。準備できてるのになぁ。」
と不思議さいっぱいでこぼしていました。

一般的に男性は女性の身体の仕組みをあまり理解していないので
(人の身体の仕組みそのものもそうですが)
不妊治療を進める時にはこのギャップを埋めていくことも
大事です。

でもさすがに、夫もいろいろ学んだようで、純粋な興味を
示して話しをしてくれます。
(これがとても嬉しい)

前回も書きましたが、誰も超高齢で出産しようなんて
目論んではいなくて、気づいたらその時期に来ていた
ということで、今回完全ではなくとも受胎できたことで
来年の4月くらいだなと、ぼんやりと思い、その時なら
まだ43歳。
夫も出産はレオン市というのは決まっているので
「●●ホテルにとまろーーー」
とかすでに楽しそうであったりしていますが、
延びてしまうと、43歳ではもう難しいかもしれないなぁと
現実的な算段をしているところです。

今回のを”リセット”して準備に入っていくには数か月
かかるだろうからです。。

写真はお友達と弟がくれたお守り。
毎日手を合わせていますが、まだお祈りが足りないのかな。


こんな時には晴れのメキシコの空が元気をくれるのは
間違いないですね。








Noteにお引越しします

 タイミングもあって https://note.com/mmktauchi/n/n5ff3420cb5d1 こちらにお引越ししました! ご関心のある方、 引き続き覗いてみてください💛