子どもを授かること 2

今回、近隣で有名な助産師さんからの紹介で隣町の不妊治療専門クリニック、
そちらの先生と出会うことが出来ました。

助産師さんは、この数年日本人の出産を何度も助けてくれている方で
私は不妊治療を考える前からメキシコ人のお友達を通じて知っていました。

今回、頼るのは彼女だなぁと思ってお話させてもらい、
直ぐに先生に直接ご連絡し、状況を知ってもらい、
Video電話でお話しました。

それから数日後、隣町の先生のクリニックへ夫と出かけ、
その日(生理3日目)から自己注射で治療に入りました。
今回のサイクルで使用した注射は3種類でした

①Pergoveris(卵巣刺激)
日本では未承認だそうですが、海外では利用されていて、
これを観て自己注射しました。
こちらは計9本




②Cerotide(早期排卵防止)
こちらは日本でも使用されているようです。
卵胞が育ってきて排卵が近くなってから1度

③Ovidrel(卵胞成熟及び黄体化)
を採卵の約36時間前に1回





自己注射・・・。
ドキドキしましたよ。
まず、高価なお薬、素人が混ぜないといけない面倒から始まります。
溶剤が全て注射器に入るかどうかも、空気や圧力が邪魔して
これでいいんだろうかとなるし、ある1本分は注射針の根本が緩んでいて
溶剤が少し漏れてしまったし。
容器に必要なお薬を注入することがまず難関でした。

針は2cm、もちろん細いですが、痛いものですよ。
お腹の脂肪の厚い部分をつまみ、プチっと刺します。
本当にプチっという感覚。
刺すよりも、これがまた素人だからお薬を注入するスピードが分からないから
ぐっと注入してしまうとすごく痛む。
毎回緊張するので仕舞にヨガマットの上で行うようになりました。



2020年6月10日採卵1

6月10日水曜日
採卵へ行きました。
ここのところ毎日就寝は10時前後ですが、
それまでに水分補給して、
当日の朝は絶食、お水もNGで歯磨き時のうがいも
水分を含むのに気をつけてねということでした。

9時の予約でしばらく待合室で待ちます。


名前を呼ばれて、服を着替え、
静養室には5台かな、間仕切りのあるベッドがあり、
私は隅で横になりました。
直ぐに点滴が注入され、(初めての点滴)
しばらく休みます。
音楽が流れ、全体的に穏やかな空気です。
私の他にももう1人クライアントさんが入ってきました。

さて、治療台へ移動し、
超音波検査などよりも高い位置、
造影検査とも違う治療台へ上がって開脚します。
看護師さんとアシスタントのドクターが準備をしてくれました。
「冷たいよ、冷たいよ、でも大丈夫」
と言われながら大量の溶液を内また、施術部にかけられました。
かなり大量で緊張もありお腹に手を載せていたら、
「お腹から手は外してね――」
と、今度は麻酔医師が私の両腕を両サイドのまくらに
安静にさせます。
麻酔医師と軽い会話で自己紹介をしながら、
点滴に麻酔液が注入されました。
さて、そこから、直ぐに目が回り、
後のことは全く覚えていません。
まーったく。


施術は20分ほどと聴きました。
気づけば静養のベッドに戻っていて、
「気分はどうかな?」と先ほどの看護師さんが対応してくれました。
全体的に優しくて、初めてのことで戸惑う外国人の私も
その環境に居ることが辛いと思うこともなく、幸せだと思いました。

意識がはっきりするまで静養ベッドで寝ていました。
その間に夫は採精しました。
これは男の人のご苦労です。
採精部屋に何が置いてあるのかは、雑談にはいいネタになるでしょう。

身体が動くようになり、お手洗いを済ませ、
着替えてカウンセリングです。

今回は片側に1つづつ卵が育っていましたが、
その片方はまだ未成熟で、片側のものだけを培養しますが、
確率的に次のサイクルも必要になると告げられました。
もちろんがっかりしますし、
あぁ、これをまた繰り返すのか・・・と
気が重くなります。

処方された抗生物質と痛み止め(痛みが出れば必要になる)
を買い求め、1時間かけて自宅へ戻りました。
麻酔の効果はまだ残っていたけど、おなかが空いていて
鍋焼きうどんを夫と食べました。
食べようとすると吐き気に襲われ、
水分だけ戻しました。
落ち着いて食事をし、(美味しかったー)
その後2時間ベッドで深く寝ました。

目覚めたらアルフォンソの散歩の時間、
目覚めの運動をしに外に出ました。
強い日差しに少しびくつきながら。

麻酔の威力、すごいですね。
結局夜眠るまで気持ち悪さが抜けなくて、
これまたスッと寝床につきました。

翌朝には消え去り、普通の状態に。

一歩一歩、頑張っていきましょう。




子どもを授かること 1

2020年6月、
きっと必要な方がいるだろうと思うのと、
自分の日記として、記憶が鮮やかなうちにこちらに書いておこうと思います。

妊活のこと。

私はあと2か月で42歳になります。
夫は43歳に。
今の時代では驚く年齢ではないんだけど、
自然的に妊娠が難しかったので体外受精を試みます☆


メキシコはグアナフアト州のレオン市のクリニックです。

コロナ、coid-19の感染拡大下で、ひたすらこのことばかり。
不安をかき消すのも大事な課題ですが、
このゆったりとした時間の中でよいように集中できている気がします。

夫とは2005年に結婚していて、もう15年。
長い間出来なかったというよりは
「欲しいと思って取り組まなかった」というタイプです。

2014年の5月、1度妊娠しました。
これは「そろそろいいよね」という感じで居たころです。
家族も大変喜んでくれましたが、2か月で成長が止まってしまいました。
ごめんなさい。

それからメキシコへ赴任になり、
年中温かい環境で周囲からも「できますよー」
なんて言われていながら、「あれ、出来ないね」と
真剣に相談し始めたのは40歳になる年でした。
2年前です。

Cleigton Modelというオリモノで自分のホルモン状態をチェックするメソッド
を学んでいる先生のところでカウンセリングしたのが始まりです。
基礎体温と絡めて、妊娠しやすいタイミングを測るにはよいと思いました。
私には時間のかかる作業でしたから、近隣のクリニックへ通うことになります。
不妊の専門ではなく、一般の産婦人科で日本人の出産実績のある先生です。

排卵誘発薬を飲み、タイミングを測りましたが、
結果は出ず、2019年7月、卵管造影検査を受けます。

これは辛かったです。
ネットで日本の状況も調べ、受診しましたが、
私の経験としては診察台に上がっている時間はとても長く、
生理痛の鈍痛が身体から離れないで辛かったし少し泣きました。
海外で経験した友人も同じようなことを言っていました。
造影検査が一番辛かったと。

両側閉塞ということがわかりました。
結果よりも検査自体が苦痛で数日落ち込んでしまいました。

つづく。


El jueves 14

Nataliaと久しぶりに会えました。

セラピストの彼女だけど、しばらくセントロのカフェで働いていました。

でもそのカフェの運営が変わっちゃったので、辞めたと。

で、時間が出来たから会えることになり、マッサージをお願いしました♪

私ごときでもこの生活は頭を使うことも多く、

特にやはり外国語を聴いて話す、もちろん読んで書くことも

すごく集中力が要るんです。昔より楽になった気もするけど、

何でも「よくしよう」って向上心を持てばその過程に辛さみたいなのは

起こっていって。今回はとってもよいタイミングだったので

頭と首が軽くなるようにと時間をかけてもらいました。


彼女が選んだオイルとハーブたちを合わせてる。


ハーブづけのお塩を薔薇💛


NATALIAです♪


ごーーんと深く寝てしまった!!!
 


アルちゃんは自分の番が来たかとそわそわしています。





待ってました♡


首が軽い、ものすごく軽い!!!
ありがとう♡

Fin de semana

週末土曜日は、

朝Yogaから始まり、


バレーボール。

バレーボールは、今春帰任された奥さまがかなりのバレー好きで

気づけば私の夫も、他にも彼女の近い家族の男性陣がバレーボール経験者だった

ということで拡がり、土曜日の午前中に集まっています。


Canchas Orcasというバレーボール専用コート

週末出勤の方も多く、なかなか多く一度に集まることはできませんが

都度参加できる人性別年齢関係なく、打ち合いしています♪

さて、この土曜日はこの後でレオン市まで出かけることになりました。

Tú y Japón という領事館とエンカウンタージャパンさんとの共催イベント。


ソーラン節の活動やお祭りで今年からお話させていただくようになった

領事から、お声かけいただきました。

会場はレオン市にあるオビエド学院というプライベートスクール。

校内のつくりが全て落ち着きある洋館で、

こんなところで学生時代を過ごせるなんてと

ぼんやりとうらやましく思いました。


帰り際に当日のマネジメントなさっていた古川領事と私たちメンバーとで。

お茶のお点前、着物のショー、まぐろの解体と実食、お習字クラス、

他スポンサー企業のブースがありました。

私たちはせっかくなのでと浴衣を着て行きましたが、

やはり何度も「写真を一緒に撮ってください」と声をかけていただきました。

私も今でも民族衣装を纏っている人達が居ればじろじろと観ちゃうし

わくわくしちゃうし、一緒に写真をとってもらいたいと思っちゃいますね。


鹿児島県の甑島(こしきじま)からはお豆腐屋さんが来ていて、

お豆腐づくりの実演と出来立て寄せ豆腐の試食をなさいました。

こちらの大将が、とってもチャーミングでした♪

メキシコにもっと豆腐とお茶がはやるようにと個人的にいつも願っています。


こちらのスタッフが現地で3か月修行なさったそうです☆


 マグロの解体から実食。








自分ではなく夫の名前を書いてみる。


開会式後の着物ショー。


主催者の縁故がお客様ということで、日本人の来場では

知ったお顔がほとんどでしたが、その中で新しくご紹介いただいた

この真ん中のお2人が最後のステージで歌と演奏を披露してくださいました。

美之さんと息子さんのたけちゃん。

なんと、昨年秋に始まったばかりの私たちのソーラン節ステージを

観てくださり、ご家族みんなだ「感動した!!」を話題にしてくださっていたというのです。

時を経て、お目にかかることが出来るのですが、

想い出って優しく人をつなぐんだなぁとしみじみしました。


2人の歌声は明るくのびやかで優しく、会場を包みました。

2人のパフォーマンスだけでも心を打たれたのですが・・・

島田さんに煽られて最後はステージに・・・・

その後に輪が拡がり、島唄をみんなで歌い踊って閉じていった

温かい会でした。



私たちを上手に煽ったエンカウンタージャパンの島田さん(左側男性)

右の男性はHISの小城さん。この方も鹿児島の方で指笛も踊りも上手で

沸かしてくださいましたね♪



沖縄のスライドにはもちろん首里城も映っており、切なくなりましたが、

ものはいつか消えてしまうけど、

温かな想い出は消えない、それが糧になるなと、

最近思うことにつながります。


love

El joven Antonio

11月7日木曜日

毎日速いです。

今日はここにアントニオ君と、彼の作品を紹介したいと思います。


↑今年2月号のこの地域のフリーペーパー
Argonautaの表紙
※4年前から開いている地域のお祭り(日本人がつくる日本文化紹介イベント)や密度の高まる日本人コミュニティを取材くださり、今号の特集となりました。


昨年春頃、私のInstagramの投稿に見知らぬ人からいいね!がつきました。

見知らぬ人からのいいねなんて、よくあることなんだけど、

メキシコ人ぽいなとその人の投稿などを見てみると、

「あぁ、なるほど日本好きな青年なんだな」と投稿の数は少なかったのですが

伝わりました。

その中には、例年行っているお祭りのちらしのようなものがあり、

しかもそれは私がつくったものでもなく、「????」好奇心がそそられ、

DMで「あなたは誰ですか?」と尋ねると直ぐに

「同じ居住区に住んでいる●●です。」

と返ってきたのです。

どうやら真面目そうな子だし、

お祭りや日本のことにもとっても興味がありそうだし、

居住区内のオープンスペースで当時コミュニティを纏めてくださっていた奥さまと

一緒に会うことにしました。


日本の国立大学への留学をめざしています。

本専攻分野があり、そのための勉強なのですが、

日本語そのものにも興味が高く、

今では近隣の人に教えてもいるのです。

2018年のお祭り以降はソーラン節のステージの前説もしてくれて

私たちの欠かせないメンバーの1人です。

前説というのは、ソーラン節とは何かとかどんな状況で披露されるものなのかとか

振り付けの意味ってなんだろうとか

いろいろと今はもう覚えてしまっていてそらで言ってくれます。

まだ19歳。

だけどとってもしっかりしています。














El miercoles 2

今日はとても静か。

夕方でも水が芝生にしみ込んでいく音までよく聞こえます。

じゅわじゅわと。

ソーラン節の練習。

次回のステージは11月30日と12月1日。

子どもは週末、大人は平日日中に分けて。

私は今は踊っていないので、観客目線で練習を観るだけ。

こんな鮮やかな空色の下、いつも楽し気に考えて直して、

踊っています。


きっといつか恋しくなるな、この風景。


練習始まってから合流するので、近づいてく時に踊ってるのが見えて、
すごくテンション上がる。



じゅわじゅわ。



塀からせり出した野生のポインセチア。
Noche Buena

今年も直ぐにいってしまうな。

Noteにお引越しします

 タイミングもあって https://note.com/mmktauchi/n/n5ff3420cb5d1 こちらにお引越ししました! ご関心のある方、 引き続き覗いてみてください💛